当山石畳道,普天間街道

 

琉球王国時代、王府の道路整備は第一尚氏に始まり、第二尚氏の政策に反映され、尚真王の時代に一応の形ができたと言われています。

ただし、それ以降も歴代の王は、政治、経済、軍事上の必要性から、王都首里から各間切りの番所(地方の役所)に通じる宿道の整備・修復には力を入れました。(国王が儀式を行う神社・仏閣、墓地へつながる道路としても重要でした)

 


 

今回ご紹介したいのは、17世紀中頃に整備されたとされ、今でもほぼ往時の風情を残す『当山の石畳道』。

この道は、首里から浦添間切りを通って宜野湾間切りまで至ったという普天間街道の一部で、浦添グスクの北東(浦添大公園の近く)に位置します。

牧港川の中流を挟んでS字型の谷間に造られたこの石畳道は全長約200メートル(幅約4.5メートル)。

かつての琉球国王は、この道を通って普天間宮(琉球八社のひとつ)に参詣し、また各間切りの年貢はこの道を通って首里城に運ばれたそう。ちなみに戦前までは立派な松並木が残っていたと言います。

当山石畳道,普天間街道
石畳道近くの森にあった御嶽(拝所)

 

当山石畳道,普天間街道
石畳近くの御嶽の森の道

 


 

さて、私的には今回で五度目の『当山の石畳道』ですが、いつものように石碑が建っている入り口から下って行きました。観光客に出会うこともなく、常にひっそりとした感じ。

まず、簡易舗装がなされた急坂(手すりあり)を下ると、石畳道は、その先のヘアピンカーブを曲がりきった所から始まっています。石畳道の急坂は、地元では馬がころぶ程の急坂という意味で『馬転がし(ウマドゥゲーラシ)』と呼ばれ、かつては交通の難所として知られていたとのこと。何百年もの間、琉球の人々や馬たちが行き来した証でしょうか。石畳は磨かれて表面がつるつるしています。たしかに雨が降ると滑って大変かも。

当山石畳道,普天間街道
急勾配な坂の石畳道

坂を下り切ると牧港川があり、そこにアーチ状の石橋がかかっています。

小ぶりですが結構趣のある橋です。(牧港川にかかる当山橋は、以前は木橋でしたが、大正時代に石橋に改修されたとのこと。戦時中も米軍の砲撃を受けて一部破損した箇所はあるそうですが、ほぼ原型をとどめているそうです)

当山橋,当山石畳道,普天間街道
当山橋

橋を渡ると、今度は緩やかなカーブを描いて上り坂。100mほど上ると住宅街に出て、石畳道は終了します。

首里城のようにド派手ではありません。首里金城町の石畳道のようにメジャーな石畳道でもありません。

でも、だからこそ、一人きりで立つ谷間の静かな石畳道からは、リアルな琉球王国時代のイメージが膨らみます。

琉球の人々が踏みしめた石畳道。

そのたたずまいからは、いにしえの香りが漂っていました。

旅情を誘うことは間違いなしです。

また、石畳道は浦添大公園内の散歩道にもつながっており、亜熱帯林の中を散策することもできますよ。

特に、メジャーな観光地はすでに卒業したという沖縄好きのリピータの方々!行って見てはいかがですか。

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